台湾漫画の資料を急いで保護する

中華民国文化部の新聞から
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漫画資料の応急措置、鄭麗君部長が交通大学漫画館の蔵書を参観
2017-10-20
阿三哥と大嬸婆諸葛四郎と呂四娘等の漫画キャラクターは多くの三、四年生の子供時代の思い出だ、文化部長鄭麗君は今日(20日)交通大学を訪れ、浩然図書館の三人の客家系の葉宏甲、劉興欽、陳定国の作品原稿のデジタル化の成果を参観した。同時に鄭部長は交通大学客家学院と人文社会センターが葉宏甲の漫画「大戦魔鬼党」を主題とし、諸葛四郎をゲームの主役として製作したVRアクションゲームを体験した。

鄭部長は漫画館の所蔵品をながめた後語った、「我が国の早期の漫画作品は整理と研究を欠いている、作品の多くは民間で所蔵されている。そして漫画史料は庶民の生活の最も身近な文化記憶を支えている。漫画資料の保存は緊急性があり、どう積極的系統的に保存し、更に文化資料の保存利用を達成するかということは文化部の一刻の猶予も許されない任務だ」

部長は同時に交通大学の漫画図書と資料を保存する努力に感謝し、更に新科学技術で文化記憶を新しい閲覧相互交流方式に転化したことを評価した。そして文化部は台中市政府と協力し、水湳智慧城で国家漫画博物館を作り、109年に落成する予定だ。当博物館は徴収、保存、展示等の伝統的博物館の任務を果たすだけでなく、更に文化科学技術の応用を結合させ、デジタル保存、デジタル内容体験を具え、漫画文物の新しい効用を加え運用する。これによって文化部は将来交通大学と密接に交流し、交通大学が引き続き進めるその他の漫画家の原稿と漫画館蔵品のデジタル化を全力で支える。文化部はハード面の他にも、ソフト面から先行させ、10月から一連のまんが文物徴収作業を展開し、記憶の伝承から始め、台湾の歴史文化記憶の深化を追求し、台湾マンガ史を再建し、更に進めて漫画を領域横断発展の鍵となるメディアとし、文化産業に付加価値を加え加速させる役割の力とし、無限の可能性を切り開く。


その他
壽喜燒暖心老闆圓夢 癌末弟「安詳靜靜睡著」離世 蘋果日報

台湾高中生大学第一志愿:北京大学取代台湾大学 環球網
http://taiwan.huanqiu.com/article/2017-10/11333381.html
中国の環球網では台湾関連の記事の連日の見出しが、中国の経済発展によって台湾人が中国に引き寄せられ、みんな中国人になりたがっているという雰囲気の見出しのオンパレードになっている。その記事の中では必ずと言っていいいほど、台湾の国民党寄り、中国寄りのメディアの記事を引用している。連携でもしているのだろうか。
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蔡培火が獄中で作詞活動

中華民国文化部の新聞から


蔡培火が獄中で歌を書く 台湾歴史博物館は激昂の歌声を重視する
2017-10-16

文化部に所属する国立台湾歴史博物館(在台南)は台湾文化の日(17日)に呼応し、今年「自力造新民」関連の活動を推進し、10月17日、10月29日の両日を入場無料にする他、重点行事の音楽会を10月22日に開催し、台南の著名な「点心担」合唱団を招き、元祖といえる社会運動歌謡に再び焦点を当てる。

台湾歴史博物館によれば、台湾の第一世代の創作流行歌「望春歌」の前に、台湾には既にいくつかの新創作歌謡曲があり、創作者は音楽家ではなく、それは当時の本土の政治的リーダー、蒋渭水、蔡培火等の人だった。これらの作品は文献資料においてわずかに見られる、国立台湾歴史博物館の収蔵、整理を経て、10月22日午後音楽会を開催し、全て新しく編曲した四部和声で、歴史的音声を再現する。演奏曲目は、蒋渭水親筆による「文化協会会歌」、謝星楼作詞の「議会設置請願歌」、蔡培火作詞作曲の「台湾自治課歌」「咱台湾」「美台団団歌」、黃得時作詞の「美麗島」等々を含む。演奏現場では解説を挿入し、聴衆に当時の政治社会情勢と主張を理解させる。

蔡培火は当時を最も代表する社会運動歌曲の作曲家だ。彼は1923年12月議会請願の運動結社により、日本政府に検挙され、判決により入獄した、1925年獄中で「台湾自治歌」を書いた、内容は慷慨激昂、台湾人こそが台湾の土地の真の主人であると直接述べており、曲調でも朗々と表現して、曾ては社会運動組織で必ず歌われる曲だった。

他に、台湾アイデンティティを宣揚する「咱台湾」、「美麗島」等の歌曲は後にレコードになったが、これらの作品は、植民地時代の高圧的な統治の下では広く知られることはなかった。

台湾歴史博物館によれば、この音楽会は観衆に音楽の饗宴を提供するだけではなく、更に伝承し広めることによって、これらの知られざる重要な歴史的歌謡を活性化し、歌の中の強烈な情感を再現し、私達に台湾文化の力を直接感じさせられるよう希望している。活動詳細は歴史博物館サイトで調べてほしい。


咱台灣.wmvhttps://www.youtube.com/watch?v=ZB8f4aZQTLk

台湾の洋画家頼傳鑑氏に文化大臣が哀悼の意を表明

台湾の洋画家頼傳鑑氏が去年の12月27日に亡くなった。1日の文化部の新聞稿で文化部の部長(大臣)が哀悼の意を表明している。中国語版のwikipediaによると、「1926年(大正15年、昭和元年生まれ)1934年武蔵野美術大学留学、戦後帰国、中学美術教師。曾て中華民国油絵学会常務理事、台陽美術協会評議委員、全国美展評審委員、全省美展評審委員及び顧問を務める。画家としての生涯は写実主義から始まり、第二次大戦西洋絵画の流れの刺激を受け、印象主義に転向、色面分割の手法を運用し、半抽象風の作風を創造した。著作の『天才の悲劇』、『巨匠の足跡』で台湾に西洋芸術史を紹介し、60年代の美術青年に深い影響を与えた」とある。


ベテラン画家頼傳鑑の逝去 文化部長鄭麗君は深い哀悼の意を表明する
2017-01-01

烽火の下で成長した台湾の先輩芸術家頼傳鑑が、105年12月27日に亡くなった。文化部鄭麗君部長は訃報を聞き深い哀しみが尽きなかったが、芸術発展司とその所属の国立台湾美術館にできるだけ家族の葬儀手配に協力するよう指示した。

頼傳鑑は芸術と文学どちらでも出色の作品があり、曾て1985年中山文芸創作奨を獲得し、1989年呉三連芸術奨を得、1990年林本源文化教育奨を得た。頼傳鑑の芸術の成果を顕彰するため、国立台湾美術館は2012年と2015年別々に美術家伝記叢書と記録フィルムを出版した。

1926年桃園中壢に頼傳鑑は生まれた、1943年中学を卒業後日本に行き、武蔵野美術学校に進んだ、すぐに日本の敗戦投降に逢い、やむを得ず急いで荷物をまとめて台湾に帰った。頼傳鑑は戦乱と生活の劇変を何度も経験したけれども、しかし愛する芸術創作を放棄しなかった。最も得難いのは彼の生来に近い一種の執着だ、青年時期に謹厳な態度で芸術創作と理論研究に従事し、とりわけキュビズムの研究に対して、彼は五、六年の時を費やし総合的にキュビズムの物体変形と画面構成、主観的で簡素な色彩の研鑽に励み、その後の創作の基礎となった。

頼傳鑑の一生の作風は多様で、その創作で希求したことは自然と生活環境を通して、感ずる所思うところをイメージと色彩に転化し、調和の取れた陽光と色彩の有情の世界に解釈し、心の面の最も真実の形象と感覚を示した、これは台湾美術史上代表的な先駆的芸術家だ(原文は賴傳鑑ㄧ生創作風格多樣,而其創作企求的是透過自然以及生活環境,將所感所思轉化為意象與色彩來詮釋和諧的、陽光與色彩的有情世界,呈現出心靈層面最真實的形象與感觸,是台灣美術史上具代表性的前輩藝術家。)。


臺灣前輩藝術家賴傳鑑
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「鹿苑長春」,1980,國美館典藏
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「豐濱海岸 冬日」, 2006
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画像は新聞稿から
桃園之美-西畫C04-賴傳鑑 https://www.youtube.com/watch?v=XXLcPDAMsxc

頼清徳台南市長がGoogle画面を語る

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陳澄波(1895年2月2日-1947年3月25日)

頼清徳台南市長がFacebookで画家を紹介していた。
Facebook全文


今日Googleのサイトで美しい海岸の町の油絵を見た、清徳はとても感動した。これこそ台湾の芸術家陳澄波が描いた「淡水夕照」だ。この油絵は曾て華人芸術家の最高価格を記録した。

何のためにGoogleは検索トップページにこの写真を置いたのか? 2月2日は陳澄波の生誕120年に当たるためだ。このためGoogleは特に台湾と香港の検索トップページにこの油絵を掛け、更に多くの人にこの台湾美術の先達の絢爛だが短い一生を認識させた。

陳澄波の功績を顕彰するため去年台南市政府は非常な光栄にも、国内の多くの重要機構例えば陳澄波文化基金会と共同で陳澄波生誕120年東亜巡回大展を主催した。

三カ国、五つの都市の巡回展示を通して、より多くの市民に陳澄波先生の多くの重要な作品を直に見てもらい彼の創作にかける情熱を感じてもらう事ができた、またその他にも更に重要なのが台南が曾てない芸術外交という方式を用いて中国と日本訪問を成功させ、台湾本土の文化芸術を国際舞台に立たせたということだ。

台南は台湾の文化首都だ、多くの重要な過去の芸術家と台南は深い関わりがある、。台湾の最も大切な文化遺産を永続させ広めることは、台南市には逃れられない責任だ。将来台南市には市民にオープンな美術館(一座屬於市民的美術館)ができるだろう。この美術館は台湾芸術の先人の辛さと頑張り(の結果の作品)を完全に保存し続け、大切な作品を国民と海外の人に紹介し、人任せにできない文化的使命を果たすだろう!



コメント欄には数日前頼市長が芸能人に、飲酒運転防止のため芸能人は酒の宣伝をしないほうが良い、と発言して芸能人に「酒を売ると飲酒運転を薦めていることになるのか」と反論された話題で盛り上がっているが省略。

今日発表のTVBSの民意調査では満意度、信頼度、喜好度(好感度)で柯文哲台北市長、陳菊高雄市長と頼清徳台南市長がそれぞれベスト3を分け合った。また去年の地方選挙の民進党の大勝の結果、蔡英文民進党主席が2016年の総統候補になり頼清徳市長の可能性はあまりなくなったと言われていた。しかし最近頼市長が2016総統選挙に向けた民進党の総統提名(指名)選挙に出るのを希望する意見が出始めている。

日本版はなかったが陳澄波氏のWikipediaの冒頭の紹介文は


陳澄波(1895年2月2日-1947年3月25日)、台湾の著名な画家。1926年「嘉義街外」の作品で第七回日本帝国美術院展覧会(帝展)入選、これは台湾人として初の西洋画での日本官展入選。その後数回帝展とその他の公募展に入選した。1947年二二八事件が発生、3月25日国民党政府により嘉義駅前で銃殺刑にされた。享年52歳。


となっている。Wikipediaにある画像では

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嘉義街外/ 陳澄波/ 1927年/ 畫布、油彩/ 64×53 cm

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廟口/陳澄波/ 年代未詳/ 畫布·油彩/ 59×70.5 cm

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夏日街景/ 陳澄波/ 1927/ 画布·油彩/ 79×98cm/ 台北市立美術館典藏。





6都民調 柯P、花媽、賴神包辦前3名 newtalk
選總統?賴清德︰請益辜寬敏後宣布動向 自由時報
李登輝前総統が「馬関条約と台湾の研究会」で演説

李登輝前総統が「馬関条約と台湾の研究会」で演説

李登輝基金会と台湾教授協会共同の「甲午戦争・馬関条約と台湾変局検討会」(甲午戦争は日清戦争)が2014年10月25日開幕した。この検討会はもともと張炎憲教授が開催担当していたが、思いがけず彼はアメリカで口述の歴史を採録中急死された。

李登輝「甲午戦争‧馬関条約与台灣変局研討会」開幕致詞全文


最初に来賓各位に感謝したい。日清戦争から120年後この戦争の影響が台湾に与えた影響に関心があるものが集まった。会議をはじめる前に特に張炎憲先生に感謝しなければならない。先生は李登輝基金会の代表で今回の研究会は彼が開催を担当し、台湾各界の学者専門家に呼びかけ台湾の歴史を共同で探求し、歴史に基づいて国家発展の方向と方法を探し出そうとしていた。残念なことに彼はアメリカで口述歴史の採録中に心筋梗塞で病院に運ばれたが今月始め回復せずに亡くなった。その前には曹永和院士も亡くなられた今また張教授を失ったことは台湾史研究学会の重大損失だ。ここでお二人の台湾史専門家に感謝を表し彼らの台湾への貢献に感謝する。

1945年日本が第二次世界大戦に負け連合国軍に投降した。当時連合国司令官マッカッサーは中国戦区司令蒋介石に命令した、連合国軍を代表して「中国(東北以外)、ベトナム北緯16度以北及び台湾の日本軍投降」を受け入れるようにと。「台湾」はこれによって軍事占領され、外の一個の外来政権「中華民国」の統治になって発展した。

当時の台湾が直面した前後二つの環境は、「天皇」強調による「天下為家」の「日本帝国」統治と、打って変わって中国国民党の「天下為党」の「中華民国」統治となった。二つの外来政権は台湾の上で交代をした。

しかし、台湾は日本の50年の統治を受け既に現代化に入っていた。そしてそれに及ばない大陸の文明に転換させられ、その新政権統治は政治と社会に衝撃と影響を与えた。それによって発生した二二八事件の主要な原因はやはり二つの違った文明の衝突の結果だ。

日本人統治或いは国民政府統治時代を問わず台湾語を話し集まるだけで処罰された。この種の経験は台湾人の悲哀として私の心と身体の深くに染み込んでいる。長い間台湾人は自分の道を歩き自分の運命を切り開く方法がなかった。日本時代にはこのように、戦後の国民党政権時代にも猶変わることはなかった。これこそが台湾人のナショナルアイデンティティーが明確でない理由だ。

台湾の監督魏徳聖がインタビューで曾てこう言った「彼らの眼中、台湾に政権を立てた政治団体の眼中には台湾を真剣に理解しようという望みは一つもなかった。ただ求めることだけ考えていた。国民党は大陸への反攻を思い、日本人はより多くの木材、石炭、金を得ることを思い、鄭成功は清朝を明に戻すことを考えていた」

これにより台湾民主化の改革過程の中において台湾人は外来政権の圧迫を自覚するに到った。そして私達は自問自答を開始した、私は誰? 私達は誰? この種の思考はまた台湾人において自分は「一個の独立の<台湾人>」の絶対意識を生み出した。言い換えれば、自分に対して自分は日本人と中国人の二つの違った生活形式にいて二つの文化形式の辺境の民だと理解する。

私達はこのような意識に対して自覚しなければならない。過去の自我を救い出し新しい思惟を用いて過去を否認し新しい未来を打ち立てる。この種の新しい思惟が即ち「一個の独立の<台湾人>」の思惟だ。またこれが自己の内部から自主を追求する動力を生みだす。そしてそれが台湾人を中心とする主義となり、そこからまず台湾の「存在」を確立しさらに台湾改変に一歩を踏み出さなければならないというようになる。

曹永和院士から張炎憲先生に至るまで彼らの一生は、台湾を主体とする角度でもって台湾史を研究し台湾を世界史の中に位置づけなければならない、中国の歴史の見方で台湾を取り扱ってはならない、そうすることによって正確な台湾認識ができ台湾人と言う自己を認識できあわせて固い台湾意識とアイデンティティーと「私は誰?」「私達は誰?」に対する本当の答えが打ち立てられるという意見に集約できる。

今年は甲午戦争120周年この戦争で締結された馬関条約によって台湾の運命は変えられた。これにより李登輝基金会は特に台湾教授協会、台湾智庫、台湾新世紀文教基金会、台湾歴史学会、及び新台湾国策智庫と共同でこの研究会を主催した。台湾を主とする立場を堅持し大中国意識の干渉から抜け出し、この戦争が関係国家と世界の情勢に対する影響、特に台湾の運命の改変に対して深く研究する。今日この場の学者専門家あなた達の貴重な意見提供に感謝し、また来賓の方の考え方の参考になることを希望します。

私達が共同して台湾の主体的なナショナルアイデンティティーを打ち立てよう、みんなでがんばろう
感謝大家,祝大家平安!­感謝!





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