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台湾模範教育者列伝、僻地の原石を磨く

中華民国教育部の新聞から
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教育者ブログ人物モデル-馬光中学陳毓婷先生:僻地の学生の原石を開発する
發佈單位:師資培育及藝術教育司
聯絡人:張惠嵐
上版日期:109-01-19

ここは僻地過ぎて地元の人さえ知らない。17年前陳毓婷が雲林県馬光中学に赴任した時、雲林市から車に乗って馬光まで行くだけで二時間以上かかった、沿道は田と畑、人家はめったになく、高い建物などまったくない。「どうしてこんな田舎に?」 父母は心配して「来年もう一度教職試験を受けなおして、さっさとこんな所離れたら!」と提案した。

まだ赴任もしていないのに離れることを考える、これが陳毓婷と馬光の初めての出会いだった。急いで逃げ出したい気持ちではあったが、数ヶ月も過ごさないうちに「ここの人たちは親切で優しい、学生は純朴だ、礼儀正しい、私はとても好きだ」と変わっていった。彼女はここの貴重さを見た、彼女をここにとどまらせたのは人だった。「けれども、ここでは大人子供を問わず、大多数が自分に対して期待をしない、未来に対して期待しない、私はこの悪循環を変えたい」 彼女の心に教育的使命感を満ち溢れさせたのも、また人だった。

馬光中学のような僻地の小さな学校では、一つのクラスの中で、片親、Skipped generation families(隔世世代家族。3世代の家族において、祖父母が孫を養育している状況)、低収入の割合に驚かされる、子供は大人と同じように、お金がなく、選択肢がなく、未来がない、自然に期待もしなくなり、夢もない、しかし陳毓婷は留まることを決定し、彼女が見た問題を解決する方法を考えた、一人の教師の微力で以って。

陳毓婷は考えた、どの子も皆まだ開発されていない原石だ、唯一無二の宝物だ、進学は固より重要だ、しかし子供に最も適合した道を見つけ出し、適性を伸ばすことこそが最も重要だ、「もし人生に進学の一本道しかないなら、勉強が好きでない或いは勉強が得意でない子供にとって、全く希望や期待はなくなることになる。だから教師は子供が長所を見つけ、自分の価値を活かすよう助けなければならない、そうしてはじめて未来は期待に満ち溢れる」

行政の仕事を兼任していた時、彼女は社会には実際多くの資源が存在することを発見した、例えば、各種基金、馬光中学に成立している仁愛基金等々、教師は低収入の家庭の学生の申請を助け、資源の補助を獲得できる。また戸外活動教育経費の申請を通して子供に校外での、各種活動、競技会に参加さる機会を与えて、外界の刺激を受けて、視野を広げさせられる。

(中略)

或る年、学年はじめに一人の全身異臭が漂う子供が陳毓婷の関心を引いた、「片親、低収入の家庭、学習障碍あり、いつも酒飲みの父親に家庭内暴力を振るわれている、その子の全身の匂いから友人関係も自然に欠けていた」 この時、一人のみが彼に歩み寄ろうと希望した。

陳毓婷は彼のためにきれいな制服を都合し、洗剤を箱ごと買い、自ら彼にどのように洗濯するか、どのように自分を衛生的にするか教えた。また彼と一緒に食事し、一緒に時を過ごし、彼にどのように食事をすれば困らないかを教えた。これでもまだ十分ではなく、同僚たちの力を合わせて、一緒に彼を気遣った。

「私はクラスの中から一人の小さな天使を篩いにかけ、彼と友達になり、彼と時を過ごし、彼を思い遣り、宿題を励まし、そして、徐々に同級生が彼に近づき、彼と友達になりたがった」 徐々に彼の友人関係は変わり、彼も同級生を気遣うことを理解し主体的に協力しはじめ、同級生たちは彼の費用を負担する提案をし、一緒に卒業旅行に参加するよう手助けした。

僻地とは何か? 僻地とは、例えば背後環境と資源がなく、全身異臭漂う子供が、たった一人で未知の明日に歩いていくようなものかもしれない。どのようにこの子供の生涯の終わり方を変えるか? 或る一人が彼の貴重さを見て、彼に歩み寄りたいと願い、且つ更に多くの力を結合し、より多くの資源を取り込み、一緒に彼の未来を輝かせた。そして、陳毓婷一個人から、一群の人に変わり、彼らが共同で僻地の子供の生涯の終わり方を書き換えたのだ。

台湾模範教育者列伝、荒れた大地にバラを植える

中華民国教育部の新聞から
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教育者ブログ人物モデル-興中小学校李乙蘭先生:荒れた大地にバラを植える
發佈單位:師資培育及藝術教育司
聯絡人:莊秀貞
上版日期:108-12-22

授業が半ばを過ぎ、一人の学生が怒りながら突然立ち上がり、ドアを飛び出していった、残ったのは驚いた顔をした李乙蘭だ。反抗挑戦性障碍の子供に直面した時、たとえ勁い教師であったとしても李乙蘭と同様に、避けがたい問題に満身創痍にさせられ、一時「自分は本当に失敗したと思う」ことは免れがたい。

教師とは結局どのような仕事なのか? 「永遠に美しく、静かに話し、時間が来たら授業を終える」 小さい頃李乙蘭が見た教師は、悠然とした職業で、校内は最も美しい風景だった、このため彼女は小さい頃からの願いは「教師になることだった」。しかし彼女が20年前に新竹師院(今の精華大学)特殊教育学科を卒業してから、職場に入り教師に任命されて初めて気がついたのは、「まったくそんなことはない」ということだった、李乙蘭は特殊教育の教師になることを選んだため、この専門分野の中は問題だらけだったのだ。

当時国内の特殊教育の理念はちょうど動き始めた時期のため、現場の専門教材、教科書、道具は足らず、多くの授業で必要なものは、教師が自らあらゆるところから集めなければならず、特殊教育の資源は明らかに不足していた。加えて心身障碍の類別は13類の多くに達し、20名のクラスの学生には20種以上の違う障碍が有るかもしれず、授業は非常に苦労した。「更にその上どの子供も違う個性を持ち、教師は各個人の能力と需要によって、彼らに最も適した教材を作らなければならない」 これらが全て問題だった。

しかし、一人の庭師のように、李乙蘭は一貫して荒れた土地の上にバラを植え続けた、「特殊教育学科の同級生はその後大多数は特殊教育の現場を離れ、普通教育の分野に戻って行った」 彼女は行けないわけではなかったが去り難かった、「もし私さえ去って行ったら、この子達はどうするのか?」

強烈な愛と使命感が李乙蘭を特殊教育の分野に留まらせた。しかしただ愛の心を持っているだけでは十分ではない、師院卒業後実際に特殊な子供に接したことが、李乙蘭に専門知識と能力の不足を強烈に意識させた、そしてまた嘉義大学特殊教育研究所に入り学生となり、絶えず学習し、専門知識を強化したのは、自分に十分に力をつけ、子供のしっかりとした翼になるためだった。

子供を連れて障碍を飛び越え、更に子供にこの世で生きていっていいという存在意義を見つけさせる。李乙蘭は考える、特殊教育生徒の学業成績は一般の子供と比べることはできないかもしれない、しかし彼が失敗すると運命づけられていることを示してはいない、もし子供の足らないところだけを見てるだけなら、逆に彼が生来備えていた優れた能力を見落としてしまう、それはとても惜しいことだ。特殊教育の教師の使命は、すなわち子供の優秀なところを発掘し、その後それを大きくし、励ます、彼らを導き別の世界を見せ、自己の素晴らしい所、存在の価値を探し当てさせるのだ。

存在の価値は子供が探さなければならない、父兄はもっと探さなければならない。李乙蘭は言う、特殊な子供を養育する心の過程を話し始めると、多くの父兄はすぐに目を赤くする、彼らは極めて大きな圧力を被っている、子供が苦しみ、父兄が苦しみ、苦しみを受ける意義を見つけることができない、これが更に苦しくさせる。「それゆえ、特殊教育の教師として、私は永遠に父兄に訴える、あなたの子供はなんと素晴らしい、彼らに私と一緒に子供がこの世界に来た意味を見つけさせ、彼らに希望を発見させましょう(原文は所以,身為特教老師,我永遠會告訴家長,你的孩子有多麼棒,讓他們和我一起看見,孩子來到這個世界的意義,讓他們發現希望。)」

(以下略)

台湾模範教育者列伝、愛と音楽で原住民の子供を抱擁する

中華民国教育部の新聞から
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教育者ブログ人物モデル-錦屏小張世傑主任:愛と音楽で部落の子供を抱擁する
發佈單位:師資培育及藝術教育司
聯絡人:莊秀貞
上版日期:108-12-15

「教育はただ愛と手本にほかならない」この名言は幼児教育界の父フリードリヒ・フレーベルから出ている、張世傑先生の場合においてぴったり当てはまっているというべきだ。原住民族の集落の子供からそこの教師になり、張世傑は神に与えられた音楽を発見し、子どもたちのために別の窓を開け世界の素晴らしさを探し当てることができた。

新竹県錦屏小学校教導主任張世傑は、今年教育界最高の栄誉師鐸獎を獲得した。自身がタイヤル族の血を引き、かつては貧困で悲惨な子供時代を経てきた、しかし逆に発奮向上し、音楽の天賦の才を発揮し、原住民部落の子どもたちを率いて天賦の喉で世界に出て唱い、イタリアにまで遠征した。更に特筆すべきは、彼が無私の愛と思いやりで、教育が相対的に恵まれない原住民部落にいる子どもたちを世話し、各部落で育つ子どもたちに、仰ぎ見られるに足る後ろ姿をを見せ、人生の途上で迷いさまようことがないようにさせた。

張世傑は幼いころより家庭環境に恵まれなかった、母親の竹切り、手伝いなどの薄給の仕事に頼って生活していた。父親は酒に溺れ、家の中はいつも家庭内暴力の暗い影に覆われていた、思い出の中では、張世傑と母はいつもあらゆるところに身を隠した、当然学校の成績を伸ばすことはできなかった。中学に進んでも、張世傑がやはりいつも気にかけていたのは、「授業の時、父と母が喧嘩をしているのではないか」という心配だった。

タイヤル族出身の張世傑は天性の肺活量の多さで、ピアノ、演奏を愛し、音楽の才能があった。錦屏小学で教えたとき、ひょんなことから、子供たちを率いて合唱団を組織し、「原住民說唱藝術競賽」に参加、県内で二位になり、校長を大いに驚かした。

楽しんで好成績をおさめ、校長は彼を「もっと楽しむよう」励ました、張世傑はついに子供たちと全国の正式の音楽コンクールに参加し、好評を博し、原住民部落の天性の美声を台湾各地で披露し、ついには海外に行き音楽交流と巡回公演をした。「一番遠くまで行ったのは、尖石、五峰と竹東地区の原住民の子供が合唱団「泰雅(タイヤル)學堂」を組織し、イタリアまで巡回公演したことだ」

(以下略)

 
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台湾模範教育者列伝、反転授業を自然にはじめた先生

中華民国教育部の新聞から


教育者ブログ人物モデル-光栄国中鍾昌宏教師:教師集落のエコシステムを構築する
發佈單位:師資培育及藝術教育司
聯絡人:莊秀貞
上版日期:108-11-23

授業が終わっても、鍾昌宏はまだ教師を解放したくなかった、彼は思いついた質問をびっしりとノートに書き込み教師に渡した、そして教師もびっしりとノートに書き込んで彼にかえしてくれることを期待した。高校3年、二人は交換日記をしているようだった。「彼の授業はおもしろかった!」 鍾昌宏は回想する、高校の生物の呉志仁先生は学生に十分な学習空間と知識啓発を与え、その中で彼も生物教師になろうという夢を燃やした。

「おもしろい」、これが鍾昌宏が解説するこの人を夢中にさせる影響力の意味だ。当然、若い鍾昌宏を教育の道に向かうよう導く鍵は、まだ不真面目なものもあった、「あのきれいな先輩が入った大学に行きたい」 要するに、鍾昌宏にとって、教師になることは、厳粛で、偉大な使命感から出たものではなく、「おもしろい」これこそが重要だったのだ。

師範大学を卒業後、鍾昌宏は厳粛な「教師となった」。彼はすべての教師と同じように、講義ごとに苦心して準備をした。彼の授業はおもしろい、学生に広く歓迎された、しかし学習体質の虚弱な学生を養成し、自主的に計画し主動的に学習する能力が欠けることをとても心配した。

台上の教師は必死で腕を振るっても、台の下の学生は目は虚ろで心もこもらず手をあげる、質問はいつも、「ここはテストに出ますか?」 原因を探求するため、97年鍾昌宏は國教輔導團初階研習に参加した時、國立臺灣師範大學物理系陳文典教授の奇想天外な一言が、彼の元々の完全のように思えた授業方法を引き裂いた。

「授業は何を本とするべきか?」 教授は問うた、「教科書を本とする、そうじゃないですか?」鍾昌宏は思った。豈図らんや、「学生を本とする」の授業観念が、はじめて彼の人生のドラマの中に出現し、反応が間に合わない彼の額で爆発し、彼にどのようにしたら「学生を本とする」授業変革を進めることができるか考えはじめさせられた。

「私は熱容量が小さい、好奇心やおもしろさは感じても、熱の度合いが続かない」それゆえ、彼はすぐにこの感動を実践に移した、そして97年、鍾昌宏ただ自分の想像だけに頼って、彼の教室で一つの学生を本とする授業実験をはじめた、教師はリードする立場を退き、学生は授業前の予習を通して、教室で班で討論し、教壇で方式を共有し、学習の主役となり、学生が読み、理解し、重点を取得し、意思疎通発表し主動的な学習能力を養成する。

続いて彼は、学生の学習態度が変わり、学習動力が充満し、主動的に大量の情報を汲み取るよう変わったのを発見した、問題は、授業時間が長くなり、どんなに急いでも、進度は永遠に追いつかない。そこで鍾昌宏は第二次変革を決定した、サイトを作り、授業関連の映像をそこに置いておき、授業前に学生がそれを見て、(以下略)

台湾模範教育者列伝、0から1までを教える旅人

中華民国教育部の新聞から(画像も)
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教育者ブログ人物モデル-昌福小学校呂聡賢先生:0から1までを教える旅人
發佈單位:師資培育及藝術教育司
聯絡人:莊秀貞
上版日期:108-11-16

「私はあなたの本を見て大きくなった……」、これは呂聡賢先生が常に聞く言葉だ。多くの人が彼の名前を聞いたことがある、彼が書いたコンピューター関連の教科書は、もう117冊を越えた、「著書と身長が同じと」言ってもいい、そして科学技術の進化に伴い、テーマはOS、文書処理から、インターネット、Googleアプリ、サイト設計まで、更にはクラウドソフト、アプリ設計、ドローン……表紙を見ただけで、コンピューターの発展の歴史を見渡せる。

彼は台湾の第一弾のGoogle中国人講師認証を受けた教師で、また最初のコンピューター教科書のため教育ビデオを製作した人だ、しかし、33年前、呂聡賢はコンピューターから遥に離れたところにいた。

「私が教師になった主な理由は家庭の経済のためです」、このため呂聡賢は成功高校を放棄し、師範專科學校(民國七十六年廃止とある今年は108年)に学び将来教師になる準備をした。兵役時、彼は一人の真面目に勉強し、多才多芸、惜しまず人を教える師専の同級生を知った、彼の勉強への情熱は呂聡賢を揺り動かし、、また彼の考え方態度を変えさせた、除隊後教師をしながら、真剣に学ぶものを探した。

「コンピューターは機能が絶えず更新され、変化の速度が早い分野だ、私の新しくて変化の早いものを求める性格と合っている、そうだコンピューターをまなぼう!」 そして彼はコンピュータ過程に申し込んだ、毎日学校と補習班の間を往復し、一ヶ月の給料をコンピューター雑誌の購読に注ぎ込み、食事、トイレ、いつも本を広げ、どんな分からない文章も放っておかなかった(原文は每天在學校與補習班之間往返,甚至狠砸一個月薪水訂閱電腦雜誌,飯桌前、馬桶上,人在書在,不放過任何一篇其實看不太懂的文章)。

2年後、当時赴任していた学校がコンピューター教室を開く予定で、専門の教師がいないので困っていた。「私がやります!」 呂聡賢は自薦し、そして毎日朝の自習、昼休み、放課後まで、彼は空いた時間を利用し学生にコンピューターを無償で教え、徐々に学生の興味を引き始めただけでなく、コンピューター教育に対して、呂聡賢自身もどんどん情熱を掻き立てられ、多くの場所で教師のコンピューター研修課程を開催するまでになり、どの場所でも発表になるやすぐに定員満員になり、会場には人が溢れ、呂聡賢の名前は、学校の間で広がり始めた。

誰も知らないが、呂聡賢は中学時代知能が足らないのではと疑われた、普段読書が嫌いで、宿題を真面目にせず、師専の同級生は今でも彼と師鐸獎(教育部が毎年模範教師を表彰する賞)を結びつけて連想することができない、「というのは私の過去を知っている人は、私の現在の努力をまったく知らないからです」

呂聡賢は考える、多くの人は興味を口にするのが好きだ、しかしこの興味のために努力の代価を払いたがらない、自然に挫折或いはボトルネックに遇うと、興味を失う、「あることに対して興味を感じ始めるのはいいことだ、しかしそれをしっかり学びたいという態度を持たなければならない、それこそがこの興味を満ちつづける鍵だ」

(以下略)


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